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2011年06月22日

迫害の歴史を背に

エルサレムの新市街側に行ってみる。
少し郊外に
「ヤド・ヴァシェム」
というユダヤ人のホロコーストの犠牲者達を追悼するための記念館があるとのことで、行くことにした。

旧市街にあるバス停に行ってみると、
ここはアラブのバスだからここじゃないと言われる。
違うバスの種類に乗らないといけないらしい。

間違ったバス停は、東エルサレム(旧市街側)にあり、
1967年まではヨルダン管轄だったので、主にパレスチナ人が居住している。
ここでは交通機関などもパレスチナ人特有のアラブ・バスが運行されている。
ユダヤ教の祝祭日でも関係なく動いている。

つまり、ユダヤ人の街(新市街側)を行き来するには、イスラエルのバスに乗らないといけないわけである。
こういうこと自体が不思議だ。
今までのイメージでは、イスラエルは完全にユダヤ人の国であり、
一部にパレスチナ人の自治区があるものだと思っていた。
しかし、実際はエルサレムの中にもパレスチナ人の住む地域がいくつも点在している。
宿泊している「イブラヒム・ピースハウス」も、エルサレム内のパレスチナ人が住んでいる地域。
パレスチナ自治区との分離壁とは関係なく、ユダヤ人と同じ領域に住んでいるわけだ。

エルサレムの新市街は、旧市街とは全く別の洗練された都市だった。
人々はほとんどユダヤ人。
何か全く別の国に来たような感じを受ける。

イスラエルのバスに乗り、かなり山奥にある「ヤド・ヴェシェム」に到着。

新米の兵隊さん

館内は撮影禁止。
主に第二次大戦におけるナチスからの迫害をテーマにした記念館である。
はっきり言って、ここの内容は恐ろしい。
流浪の民として、ここまで迫害され続けるというのも驚きだけれど、
なぜ故にここまで嫌われることとなったのか、想像をする必要がある。

アウシュビッツの展示もあるが、それはごく一部のことなんだと思い知る。
(アウシュビッツを訪れた時の記事はこちらこちら)
いくつかの収容所で同じ様に殺戮されていた事実。
本当に恐ろしいと思う。
どこにも逃げ場の無いという恐ろしさ。
難民として受け入れた国はごくわずかだったらしい。

ここではもちろんユダヤ人から見た、忘れてはならない歴史が記されている。
でも、ここにくると何か憎悪のようなものが芽生えてきそうだ。
そうでなくて、もう二度とあってはならない歴史としても認識を植える記念館であってほしい。
それは広島・長崎と同じ様に。

館内にはイスラエルの徴兵されたばかりの若者たちが社会科見学のようにして訪れていた。
男女問わずかなりの人数で、まだ少年少女の面影が残る。
イスラエルには徴兵制度があり、満18歳で男子は3年、女子は1年9ヶ月の兵役に服さねばならない。
ちなみに、超正統派ユダヤ教徒、アラブ系イスラエル人(ユダヤ教徒でない人)は兵役が免除されている。

彼らは徴兵終了後、いくらかもらえるお金を基に世界中を旅する。
徴兵で溜まったうっぷんを晴らすべく、世界中ではじけているようだ。
旅人として見てきた彼らは、とてもマシンガンを持って警備に立っていたと思えないような人ばかりだ。
めちゃくちゃだけど、明るくて、いつも気前よく食べ物を分けてくれる。
そんな彼らも徴兵中は、いつ戦争が起きてもいい状況下に立たされていたのだ。
世界はどこかしこも緊張の基に成り立っているのだろうか?

銃を持って街を歩く

エルサレムの街では、マシンガンを持った人が行き来するのをよく目にする。
こういうのがまかり通る世界って普通じゃない。

ゆーじ
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