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2010年11月19日

生贄の少女のミイラに会いに

アンデス聖地博物館へ。
ここでは、とてもよい状態で保存されている少女のミイラに会える。
約550年ほど前、アレキパ近郊のアンパト火山が突然噴火したことを受け、
神々の怒りを静めるために生贄にされた少女だ。
当時、人々は貢物と共にリャマを捧げたが、火山活動は収まるどころか、
隣のサバンカヤ山まで爆発したため、人間を捧げることに決めたそうだ。

アンデス聖地博物館の看板に張られていた記事

展示室に入る前に、20分間のビデオを観る。
それによると、少女のミイラは推定12~14歳、23年以上による学術調査を経て、1995年に発見されたという。
インカの女性によく付けられる名前「フアニータ」と一時的に名付けられ、そのままの名前で現在に至る。
発見されたのは、アレキパ近郊で最も高いアンパト火山(標高6,310m)。
フアニータは山頂での儀式の後埋められたが、何らかの影響で数メートル下に転げ落ち、
転げ落ちた位置で発見された。
フアニータは、殺されて山頂に担がれたのではない。
数日間にわたるインカ帝国の首都クスコへの巡礼の旅と、巫女になる一連の儀式を経た後、
6,310mへの過酷な登山を経て、山頂で命を落とした。
発見された当時、完全に凍結した状態だったので、当初は凍傷が死に至らしめたと考えられていたが、
CTスキャンの結果、右眉骨を棒で殴られたことが死の直接の原因と判明した。
身に纏っていたマントを留めるショールの長さが他のミイラよりも長いことから、
上流階級の出身と推測されている。

ビデオの後は、ガイドさんと展示室へ。
そこには、フアニータが身に着けていた衣装や、一緒に埋められた貢物が展示されている。
金銀貝で作られたピクーニャやリャマ等の動物像や人物像など、貴重な貢物だ。
エクアドルからアルゼンチンに至るインカ帝国で発見された他の子どものミイラの説明も受けながら、
一番奥の部屋へ。

アンデス聖地博物館の看板に張られていた記事2

そこに、フアニータが眠っていた。
3枚のガラスで囲まれたフアニータは、氷点下20℃で保存され、首の辺りに霜を抱いていた。
艶のある黒髪が、少女の若さと美しさを想像させる。
少し開いた唇からは、虫歯一つない健康な歯が見える。
クスコへ向かう途中、そして過酷な登山の道中、少女ははっきりと自分の運命を認識していたに違いない。
二度と帰れない旅路を、彼女はどのような思いで歩いたのだろう。
人々を救うための名誉な死と受け入れても、一瞬一瞬死が近づくのを感じる時、恐怖を感じないはずはない。

アルマス広場とチャチャニ山

博物館を出ると、アンパト火山と同じ6,000m級の山が見えた。
雪を抱いた山は静かに、暗闇を待っていた。
フアニータはあのような場所に、ひとり、残されたのだ。

フアニータ像 チバイ村

後日、フアニータが埋葬されたアンパト火山に近いチバイの村で、フアニータの像を発見した。
確かに生贄は残酷な儀式だけれど、フアニータは人々を守ってくれる存在として、
インカの人々のの心に生き続け、崇められ続けているのだと感じた。

ありさ

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