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[30カ国目 マリ]シンザナ村 JOCV任地訪問

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青年海外協力隊員の友人を訪ねて マリの村へ

マリに来た目的は、学生時代からの友人を訪ねることにあった。
彼女は念願だった青年海外協力隊(JOCV)でマリに派遣され、村々の生活改善のために活動している。
派遣後の6ヶ月間、時々彼女からのメールでマリの人々や活動の様子を知り、
いつか機会があったら訪問してみたいと思っていたのだ。

友人の活動地を訪れる日、バスに乗り込んだところまではよかったのだけど、
バスが走り出してすぐ、致命的な事に気づいた。
バスは冷房車で窓は開かない仕組みになっている。
ところが、冷房車なのに冷房は使われないので、
猛暑のこの季節、通路まで人を乗せた車内は文字通りサウナ状態。
天井に3箇所空いている空気口近くに座ればまだましだったかもしれないけれど、
あいにく私達は空気が澱む一番後ろの席に座っていた。

5分もしないうちに全身がねっとりしてきて、汗が吹き出る。
周りのマリ人もみんな額に背中に汗を垂らして茹でタコ状態。
持っていたペットボトルの水は、瞬く間にお湯になってしまい、飲んでも体が冷えず、気休めにしかならない。
大人でもつらいのに、汗だくになった赤ちゃんが目に涙を溢れさせて泣き出した。
周りの女性達がああだこうだと年若いお母さんにアドバイスして、なんとか赤ちゃんが快適になるように協力し合う。
こういう時、うるさいなあと殺伐とした雰囲気にならず、むしろ車内全体で赤ちゃんを見守るあったかい雰囲気がいい。
暑くてどうしようもない車内でも、皆困った顔はしているけど、イライラしている人はいない。
この人達は、イライラしても事態は良くならないことを知っている。
自分ではどうしようもない環境を大らかに受け入れ、状況が変わるのを待つことに慣れているのかもしれない。

暑さで気が遠くなりかけ、もう限界だと何度も繰り返し思い続けて5時間。
やっと休憩地に到着した。
とにかく何か冷えたものを喉に流し込むため、商店に駆け込みジュースを買う。

そのおいしかったことといったらない。
冷えた水分が全身に染み渡って、生き返った。
ちょうど昼時なので1時間くらい休憩するだろうと思い込んでくつろぎながら、ふとバスを見るとなんと動き出している。
あわてて走り寄って動いている車体に飛び乗った。
あぶなかった~。

友人の任地は休憩地から数十分後と聞いていたので、周りの人に村の名前を告げて降りる場所を教えてもらう。
降りた場所は、幹線道路沿いの、小さな商店が数軒並ぶだけの場所。
友人に着いたことを電話すると「もう着いたの?ほんとに~?」とかなりびっくりした様子。

後で聞いたところによると、友人の活動地には協力隊員が全部で4人赴任しているのだが、
こんなにスムーズに移動できた人はいないとの事。
朝バマコを出発して村への到着が深夜になったり、
途中でバスが故障して次のバスに乗り換えるもノロノロ運転だったりと移動も大変らしい。
「もし移動が夜までかかっていたら…」
なんて、想像するだけで干からびてミイラになりそうだ。

バスを降りた場所で友人と無事落ち合い、友人の住まいに案内してもらった。
彼女の住居は、幹線道路から農地を少し入った場所にある。
この農地では、この辺りの主食であるミレットやソルガムが育てられているそうだが、
乾季の今は水分が蒸発して乾いた大地が広がっている。
穂が実る時期はさぞかしきれいなんだろうな。

水汲み
手押しポンプで水汲み

友人の住まいのある地区内には、数家族のマリ人の他、あと2人の男性隊員も住んでいる。
友人は、道行く人全員とバンバラ語で長い挨拶を交わし、近所の人や同僚に私達の訪問を連絡し、それから家へ向かった。
マリは挨拶がとても重要な社会だそうで、時には挨拶だけで5分も立ち止まらなければいけないらしい。

「こんにちは。調子どう?ご家族も元気?あなたに祝福を。ご家族の皆さんにも祝福あれ。」

質問の答えはだいたい決まっていて、実際に元気じゃなかったり家族に問題があっても、
とりあえず「問題ないよ、大丈夫、どうも~!」と答える。

これらに答えつつ、こちらも同じような質問を相手に返さなければいけない。
相手が見え初めてから挨拶が始まり、立ち止まることもあれば歩きながら受け答えすることもある。
歩きながら挨拶する時は、すれ違い終わって相手の声や姿が小さくなってもまだ挨拶が続く。
これで済めばまだいい方で、相手の姓をののしっていつまでも冗談を飛ばすこともあるそうだ。

「○○家は豆ばかり食べているんでしょっ。○○家は人間じゃない、ロバだ。」とか言い合うらしい。

自分の苗字を入れてみると、冗談と分かっていてもちょっと腹が立つかも?
きっと、長い定型の挨拶を毎日繰り返しているうち、どうせ挨拶するなら面白くしちゃえと変形してきたのだろう。
とにかく冗談を言って笑うことが大好きなマリ人らしい挨拶だ。
挨拶をきちんと交わすのは、人間関係をないがしろにしない、とってもいい習慣だけど、
それだけにちょっと買い物に外出するのも一苦労だ。

友人は1軒の住居をもう1人の女性隊員とシェアして住んでいて、私達もしばらくそこに居候させてもらうことになった。
水道はないので、毎朝夕の決められた時間、地区共同の深井戸へ行き、手押しポンプを使って水汲みをしているとのこと。
また、電気はソーラーパネル式で、携帯の充電程度なら大丈夫だけれど、
1日中扇風機を回すほどの電力はないとのことだった。
もちろん、多くの電力を必要とする冷蔵庫はない。

お茶をいただきながら再会を喜んだりマリの生活を聞いたりしているうちに、
移動と暑さで疲れが出たのか猛烈に眠くなってしまい、昼寝させてもらうことにした。
そこまででもう、彼女達がものすごく過酷な環境で生活しているということは明らかだった。
井戸が混んでいない朝早くに水汲みや洗濯を済ませようとするうち、
今では朝5時に起きるようになったという話を聞いて頭が下がる思いだ。

暗くなって目覚め、夕食へ。
毎晩夕食は、マリ人の同僚の家に隊員全員で集まり、同僚が料理してくれるマリ料理を皆でいただいているとのこと。
星空の下、その日も大皿一杯に盛り付けられたマリご飯を皆で囲んで食べた。
久しぶりにお腹いっぱい食べて、たくさんおしゃべりした。
隊員の皆さんはそれぞれ個性的で魅力的な方だ。
これから数日間が楽しみだ。

ありさ

旅で必要な簡単なバンバラ語(挨拶も)はコチラ!で紹介しています。
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過酷な環境での活動

マリに到着して4日目。
とんでもない暑さに少しは慣れるのかと思っていたけれど、全く慣れることなく、しんどいなと思い始めていた。
日中の気温は、日なたで47℃にもなったらしい。
(37℃ではなくて、47℃。間違ってません。)
日陰にいないと、すぐ倒れてしまう日差し。

やることはすべて朝早くか、夕方以降でないと、何もできない。
協力隊員のみんなは日の出前に井戸からその日に必要な水を汲み、
洗濯をし、朝食を作る。
私たちは朝だというのに、まだその気候に慣れないためか体が重く、何もできないでいた。
情けないことに朝も起きれず自分たちのシャワー用の水まで汲んでもらっていた。
そして10時頃にはもう暑くなり、体が全く動かなくなる。
いや、頭で何も考えられない。
たぶん2桁の足し算もできないくらい頭がボッーとしてしまっている。

以前インドのデリーで40度以上の気温を2,3日過ごした事があったけれど、
ここの暑さはそれ以上。
想像していた「アフリカ=暑い」は、今の時期のマリには完璧に当てはまった。
4月から6月がマリの一番暑い時期。
ちょうどその時期に訪れたのだ。

何もしていなくても水を飲まないと、体の水分は毛穴から汗になることも無く蒸発していく。
トイレにはほんとんど行く必要がないくらい体の水分は蒸発しきっている。
目に見えない現象だから余計に怖い。いつの間にか脱水症状になっているから。

特に何もしていないけれど、かといって昼間に何かできるわけが無いので、
体力回復目指して、昼寝をしていた。
寝てる時には汗を大量にかくので、起きている時以上に脱水気味になる。
頭が痛くなって起きたくらいだ。
冗談ながら、寝ながら死ねるとみんな言っていた。

夕方になれば、少しは涼しくなり、なんとか体も動かせるようになる。
ようやく協力隊員の活動を見ることができるようになった。

ここの村落の通学路に植樹をしようという計画が持ち上がっているらしい。
なにせ日陰が全く無い通学路のため、道路沿いに木が立ち並ぶことで、
影を作り小学生たちの健康に配慮でき、通学をし易くすることができる。
それを小学生に広めるために学校を訪問して、植樹の大切さを教えに行くという。
この村の4名の協力隊員が共同で簡単な授業を行い、最後に木の大切さを教える歌を歌う。

小学生は外国人がいっぱい来たので大騒ぎ。
ある教室で隊員たちは現地の言葉バンバラ語を使って説明していく。

小学校の授業風景

そして、植林のための苗の水遣りも毎日当番制で行っていくという。
気の長くなる様な話しではあるけれど、こうした活動が地元に根付いていくと信じて協力隊員は行動している。

水やり当番

世間の人たちが思う青年海外協力隊というイメージは、たぶんここでの彼らの生活・活動のようなものだろうなと思う。
実際は様々な職種があり、その国その土地で必要とされている事に従事している。
全員が井戸の水を使い、電気の無い生活をしているわけではない。

JICAの事業は、お金の使い方に多々問題はあり、批判もあるだろうけれど、
こういう地道な努力をこの厳しい生活環境の中、
がんばっている彼らを見てほんとうにすごいなと感心してしまう。
2年という長い任期だけれど、活動を成し遂げて欲しいなとつくづく思う。

ゆーじ
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バオバブ街道を歩きながら

村人とおしゃべり

友人が担当している村の一つに行くと言うので、同行させてもらうことにした。
道中、活動の話を聞く。
彼女は今、住居のある村の他に5つの村の生活改善を目指して活動している。
村人達のニーズを調査したり、
マイクロクレジット(貧しい人を対象とした低利子の小規模金融)をサポートをしたり、
他の隊員と協働で通学路に植樹するプロジェクトを実施したり、
改良かまどを普及したり、水場の管理への助言をしている。

友人が担当している村々は貧しく、ニーズもあるのは確かだが、飢餓者が出るような逼迫した状況ではない。
家事に手間や時間はかかるけど、なんとか生活できている。
その中で、何を優先させて取り組むか決定するのは難しいという。

そうして活動の話をしながら歩いている間も、知り合いの村人が声をかけていく。
村の人々が彼女の現地名を呼んでは「こっちにおいでよ!」と招いてくれる。
目的の村では、彼女が以前配布した苗木を、村人達はヤギから守るための囲いを作って大切に育てていた。

マリのバオバブ街道

村からの帰り道。
日が落ちた暗がりにバオバブのシルエットが浮かび上がる。
バオバブの木の間を歩きながら村に通い続け、半年たった今も、その美しさに息を呑むことがあるそうだ。
バオバブには8種類あって、日本人がイメージする背の高いバオバブはマダガスカル産のもの。
でも、幹の太いマリのバオバブもかっこいい。
「バオバブの実のジュースはすっごくおいしいんだよ!」と嬉しそうに教えてくれる友人は、
もうすっかりマリに溶け込んでいる。

友人の任期はあと1年半。
きっと、こうして毎日歩き、村人と挨拶を交わし、たくさん話しながら、
少しずつ、できることを着実に形にしていくのだろう。

ありさ
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娯楽といえばダンスパーティー

シンザナ村の近くのバオバブ

おとついまではしんどいなと思う暑さではあったけれど、
だいぶなじんできた。
そして、しんどさを感じなくなってきた。
と言っても、さすがに日中は何もできないけれど。
だいいちこんな暑さに短期間で慣れる訳がない。

今日はこのシンザナ村のマーケットが開かれる。
マリではどの村でも、ある曜日毎にマーケットが開かれているようだ。
朝10時頃からしだいに人が集まってきて、お店を開いていく。
10時くらいから開くマーケットも珍しいかなと思ったけれど、
お店の人たちがどこから来るにも交通手段が少なかったり、
家の用事をしてから来るからスタートが遅くなるみたいだ。

マーケットには、各個人にひとつのスペースがあるようで、
そこには胸くらいの高さで、人がかがんで入れる位の低い位置に屋根がある。
がっちりとしたものではなくて、簡単な四つ角に木が立っていて、
屋根には小枝のようなものが並んでいる簡単なもの。
日差しを遮れるくらいの感じ。なぜそんなに背が低いのかはわからないけれど。
そのひとつのスペースは畳み半畳くらいで、それがずらーーっと所狭しと並んでいる。
マーケットが無い時は人が全く居ない所に、その木々だけが並んでいて、
マーケット時の人ごみとのギャップに驚かされる。

あまりにローカルなところなので、写真が撮れなかったのが残念だけれど、
日中の暑さの中でも、わいわいがやがやと活気がありマーケットが催されている。

ありさは見るからに暑そうなズボンしか持っていなかったので、
地元の人たちが着ている柄の布を購入し、仕立ててもらうことに。
仕立て屋さんも協力隊員御用達のテーラーさん。
そこのおじさんシディさんにささっと巻きスカートを作ってもらう。

マリで作ったスカート

数時間後に出来上がったのでシディさんのところに行くと、
私たちにバンバラ語の名前を付けてくれた。
ありさがカジャでわたしはシディ。
名前を付けてくれたシディさんと同じ名前ではないか。
なぜと聞くも…答えなし…。
姓はダンベリとあいなりました。
これで村人たちとの挨拶で、バンバラ・ネームを披露できる。
外国人だとわかっていても、なぜかバンバラ・ネームを聞いてくるのだ。

この日は夜になるとダンスパーティ?なるものが開催されるということで、
みんなで真っ暗闇の中、行ってみた。
村のお金持ちの人が週一回自宅の庭で開いているもので、
行くと多くの人たちが庭の隅の四方に座っている。
まずその偉い人に挨拶に行き、私たちも座らせてもらう。
中心にジャンベや打楽器を持った人たちが数人でリズムを取り、
その向こうでマイクを持った女性が歌を歌っている。

まず最初にゆるーいリズムと歌が始まり、
参加者、一番前に座っている若者たちが、円になりつつ盆踊りの様に、
リズムに合わせてみんなで踊りながら歩く。
円を一周し終えるくらいで、歌が終わり、太鼓のリズムが早くなる。
そうなると円になって踊っていた人たちは、2、3人を残して、
いったん座っていた場所に戻り、残った人はその激しいリズムに合わせて踊り始める。
踊る。というよりは頭を斜め下に振り、その反対方向、斜め上に手を振り上げる。
それを左右交互に振り続ける。
頭を振り続けることで、目は回るだろうし、リズムが早いので息切れしそうだ。
そのためか先導役みたいな人がいて、ある程度踊ると座っている違う人に交代するよう言っている。
この激しいリズムはしばらくすると終わって、ほんの少しの休憩後、また盆踊りのリズムが始まる。
そして激しいリズムへと変わっていく。
これが延々と繰り返されていく。
しだいに踊っていてトランス状態になる人がいたり、
さらには踊っていなくても太鼓のリズムだけでそうなる人もいた。

文章だけではわかりにくいので、動画でもどうぞ。
(暗いのではっきりとした映像はでありませんが、シルエットで踊りをご覧ください。)



踊っている人はほとんど同じ人たちのようで、今晩は躍り明かそうと決めているのかもしれない。
見学者も多数いるのだけれど、ダンスを見に来ているのだろうか?
娯楽が無いからかもしれないけれど、見ているだけでも楽しいのかも。

お金をその先導役みたいな人に渡している人が数人いて、
祈祷してもらうこともできるそうだ。
単なるダンスパーティと思っていたけれど、
少し宗教色を感じたので、踊ってみないかと言われて遠慮してしまった。

終わりそうな気配がないので早々と帰ってきたけれど、
まだまだ太鼓のリズムは鳴り続いていた。

ゆーじ
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マラリア予防イベント見学

青年海外協力隊は、合衆国の米国平和部隊(ピースコー)をモデルにして設定された制度だと言われている。
ケネディ大統領が1961年に開始して以来、20万人以上のピースコーが77カ国以上で働いてきた。
協力隊は4年遅れの1965年に発足。
それ以来、3万4000人以上の日本人が80カ国以上に派遣されている。
JICAのホームページを見てみると、ピースコー発足前から協力隊の構想はあったと書いてあるが、
どちらにしろ、派遣期間が2年であること、
現地の人の生活水準に沿った生活費が支給されることなど、両者の制度は似通っている。

政府やそれに準じた組織が途上国にボランティアを派遣する制度は、
他にもイギリスのVoluntary Service Overseas (VSO),
韓国の韓国国際協力団(KOICA)などがある。

マリでは現在、なんと171名のピースコーが活動しているという。
友人の任地にもピースコーの女性が赴任していて、
今日はその人が関わるイベントがあるそうなので、見学させてもらうことにした。

村の広場に設営された会場には、たくさんの村人が集まっていた。
小学生もイベントを優先して休みをもらって集まっている。
ピースコーの彼女は、関係者席の真ん中あたりに座って手を振っていた。
彼女は大学で保健衛生を専攻していたので、
マリでは近辺の村人の健康状態の向上のために活動しているとのこと。
今日は、合衆国のNGOが資金提供する年に1回のマラリア予防イベントだそうだ。

マラリア予防イベント

女性達のダンスで開会した後、
司会者が冗談を飛ばしながらマラリア予防に関するクイズを投げかける。
このクイズで正しい答えを言えた人に、蚊帳や文房具などのプレゼントが配られるという進行だ。

現地の人のためのすばらしいイベントのはずだけど、子ども達の扱われ方にびっくりしてしまった。
クイズが出されるたびに、子ども達がわっと司会者に群がり、
自分を指名してくれるようアピールする。
その度に棒を振り回して子ども達をけん制する係りがいるのだ。
けん制するだけならいいかもしれないけど、実際に叩かれている子もいた。
そして、イベント終了時に余ったプレゼントが子ども達の方に向かって投げられ、
数本のペンと数冊のノートを巡って子ども達が殺到して将棋倒しになりながら奪い合う。

別の日には小学校では鞭を使っている先生が数人いたし、
泣いている子どもに手を上げる母親も目にした。
マリの子ども達は底抜けに明るく人懐っこいけれど、
特に権力のある大人にびくびくしている様子も見受けられて心が痛む。
子ども達にプレゼントをばら撒く方法じゃなくて、
もっと楽しくマラリア予防について学ぶ方法がありそう、なんて思う。

イベントの締めの挨拶は、役人がフランス語で行っていた。
この辺の人々はバンバラ語を話し、殆どフランス語を使うことはない。
でも、教養と権力を見せ付けるために、わざとフランス語を使う人もいるらしい。
皆が日常使っているバンバラ語で挨拶した方がより理解してもらえるんじゃないか、なんて思う。

そして、このイベントの開催時期にも疑問が残る。
蚊がいない乾季の今やるより、蚊が多い雨季に入る前にやった方が効果的かも、なんて思う。

イベントが終わり、ピースコーの彼女とイベント内容についていろいろ話しながら、
「あなたはこのイベントにどう関わっていたの?」と聞いてみた。

「私は数ヶ月前、イベント開催会議にちょこっと参加しただけ。
 主役は現地の人達で、ピースコーは必要があれば手助けするだけだよ。
 他のピースコーもそういうやり方で活動している。
 このイベントのやり方には確かに問題があるけど、
 イベントの目的はずれていない。
 私は、重大な問題がない限り手は出さなくていいと思っている」
という答えが返ってきた。

それを聞いて、あれやこれや「ここが問題だ、こうしたらいいのに」
などと思ってしまった自分が恥ずかしくなった。
実際に多くの子どもがマラリアで亡くなっているこの地域で、
予防イベントを実施しないよりはした方がいいのは確かだし、
いつかはいなくなる外国人が積極的に介入してアドバイスしたり関わったりするよりも、
現地の人達が主導権を取って毎年継続的にイベントを行った方がいい。
子ども達の扱いについても、原因は1つではないだろうし、
1回のイベントでどうにかなる問題ではない。

協力隊やピースコーを含め、いわゆる先進国から途上国への援助の最終目標は
「途上国が自立し、援助がなくなる状態」とされている。
彼女の言葉を聞いて、余りにも関与しすぎる援助は逆に自立を妨げるということを思い出した。

ピースコー
↑ピースコーのSさん。両親がスリランカ人だけど、アメリカで生まれた彼女は米国籍。

イベント後、ピースコーの彼女が「私の家を見にくる?」と言ってくれたので、
案内してもらうことにした。
彼女の住居は村のど真ん中にあり、マリ人の家の敷地内にあった。
土壁でできていて、6畳くらいのベッドルームと小さなダイニングがある。
小さな窓があるものの、電気がないので室内はとても暗い。
水道もないので、家の人との共同の井戸を使っているそうだ。
今の季節は室内に熱がこもって暑くて寝られないので、家の外にゴザを敷いて寝ているらしい。
ご飯は、お隣の家の人からマリご飯を分けてもらっているという。

私が「マリの人達と同じ生活だね」とコメントすると、
「家の造りは一緒だけど、私は彼らより全然まし。
 彼らは同じ部屋に何人もの家族が一緒に住んでるけど、 
 私には1人の空間があるからまだプライバシーがある」
との答え。

さらに、
「ピースコーに応募する人は過酷な環境を受け入れる準備ができているし、
 むしろ楽しみにしている。
 アメリカでの生活と比べたらいっぱい不便はあるけど、
 人生で一回くらい若い時に苦労した方がいいと思う。
 同じピースコーで中国で英語を教えることになった友達なんて、
 環境が良過ぎてアメリカと変わらないって言ってるから、私はほんとにラッキー」
なんて言っていた。

タフだ~!

正直、彼女に会うまで、私はピースコーについて全く誤解していた。
住居も設備の整った外国人用の家に住んでいると思っていたし、
現地でもアメリカ式の生活ややり方を押し通しているんじゃないかと思っていた。
でも、彼女は現地の人に限りなく近い生活をして、現地語を話し、
現地の人の目線に立とうとしていた。
がんがん意見を主張して変えさせようとするばかりじゃなくて、現地の人のやり方を尊重していた。

ピースコーも協力隊も、意気込んで現地入りしたものの途中で挫折し、
活動を放棄してさぼってしまう人も確かにいる。
でも、まじめに取り組んでいる人も多い。
さぼっている人は取り上げられがちだけど、地道に活動している人は知られないものだ。

かなり長くなってしまったけど、
共に生きるために、
電気も水道もない場所でコツコツと任務を全うしている人がいることを伝えたくて書いてみた。

ありさ
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