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[26カ国目 ポーランド]クラクフ

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歴史を歩んできた街 クラクフ

ストックホルムからポーランドのクラクフという町へ飛ぶ。
この町は、アウシュビッツ強制収容所博物館へ行く基点となる町。
もしこの先の旅で、もうこれ以上ヨーロッパを周らないとなると、
行く機会をこの先逃してしまいそうなので、優先的に行くことにした。

クラクフ行きの飛行機にはそこまで乗客がいないと思っていたけれど、
若い学生の集団を多く見かける。
ヨーロッパ中から観光客が向かっているようだ。

EU圏内の旅行者は小さいゴロゴロのカバンをひとつ持ってみんな気軽に行き来している。
旅行というよりも同じ国を行き来している感覚だろうか。
ここポーランドは他のEUの国々と比べて物価が安いので、
物価の高い国の人々が週末を安い国で過ごすという旅行が流行っているのかもしれない。
特にビールが安いため、イギリスの若者達がやってきては飲んだくれているらしい。

クラクフ 中央広場 宙に浮かぶ青年

さて、クラクフは古い歴史を持つ街であり、
第二次大戦時にナチスの司令部が置かれたため、
町が壊滅的に破壊されることを免れた。
そのため世界遺産となっている旧市街には古い建物が多く残っていて、とても味わい深い町であるのが、一目見てわかる。
聖マリア教会の建つ広場を中心に、方々に遊歩道が伸びていて、
広場には人で溢れ、陽気さに満ち溢れていた。
街には多くのユダヤ人居住区もあり、
ナチスが占領時にはユダヤ人を完全に区別して隔離するためにゲットーが作られた。
ここは映画「シンドラーのリスト」の舞台になったところ。
そういった負の遺産を、今ではほとんど感じさせないような町。

クラクフ 中央広場

ポーランドと言ってもあまりどういうところか想像できず、
様々な支配の歴史を持つ、暗い国だと勝手に思っていたけれど、
街を歩いても暗い影が見えることなく、
かつ旧共産圏の名残はほとんど感じられない。
もう民主化して何十年も経っているので、当たり前だけれど、
近年は経済も大きく発展し、ショッピングモールには最新のカメラやらテレビが並び、
ファッションもヨーロッパの有名ブランドが売られている。
EUに加盟はしているけれど、まだ通貨はユーロではない(ポーランド・ズウォティ)。
予想外におもしろそうな国。
もっとこの国を知りたいなと思わせる居心地のよい街だった。
それはビールの安さにようものが大きいのだろうけれど。

ゆーじ

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想像を巡らす必要 ~ アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れて1

「想像を巡らしてみる必要があるのです。」

ガイドの中谷さんが幾度となくおっしゃった言葉。

「想像を巡らしてみる必要があるのです。
なぜ、同じ人間が同じ人間に対して、このような行動をしたのか?
何が、このような行動に駆り立てたのか?」

ここアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れる前から、自分も同じ様な疑問を持っていた。
ナチスが知られているような大量虐殺を行うに至ったのはなぜなのだろうかと。
それを紐解くには、常識で想像できる事以上のものを想像してみないとわからない。
しかし、それを諦めてしまうとまたその出来事を繰り返す可能性が生まれてしまうのではと考えてしまう。
だから少しずつでも事実の欠片を拾い集め自分の中で生まれる考えと想像を整理していかないといけないと思う。

ドイツが持っていた強制収容所には、ユダヤ人、政治犯、ジプシー、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者そして彼らをかくまった人達が連れてこられた。ユダヤ人以外にも多くの人々が収容されていた。
労働力の確保という名目で収容されたのは一部の人のみで、
それ以外の人は収容所の門をくぐる事も無く、そのままガス室に送りこまれた。
その主だった人がユダヤ人であり、ここアウシュビッツが最も多くの命を奪った。
労働力として収容された人々の生活も、生活と言えないような過酷なただ死に向かうためだけの扱われ方しかされなかった。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

ここで起こった信じられない出来事を目の当たりにしながら、
中谷さんの言葉に耳を傾ける。
想像をすることが難しい程の出来事だけれど、
そこをなんとか想像しないと、なぜこの出来事が起こったかという糸口は見えてこないのだ。

しかし、あまりの悲惨さに想像が及ばない。

ユダヤ人たちは自分達の土地を持てるというナチスの嘘を信じ、
持てるモノを全て持ち、電車に詰め込まれて収容所に向かった。
もちろんそこが地獄だなんて誰も思っていなかったはずだ。
展示されている数え切れないほどのカバンや靴、メガネ、髪の毛。
それが何を意味しているのか、見た瞬間には理解できないほどだ。
ただ何も罪も無い普通の暮らしをしていた人々の欠片。

見学の途中で、中学生くらいのポーランド人学生が隠れて私達を写真に撮り、
数人で見て笑っていたのを、中谷さんは叱っていらした。
他の国の人を知らないという偏見もまたここでの恐怖を起こした要因のひとつだからだ。
ドイツ人は隣の国であるポーランド人のことをどういう人たちかよく知らなかった。
言葉が違うというのもその知らないという原因のひとつかもしれないが、
その知らないということが、戦争状態のような状況では恐怖にも写る。
そうして彼らを虐殺することが、なんら疑問を持たれずになされていってしまったのだ。

ユダヤ人は優秀でお金を持っているという先入観もまたユダヤ人虐殺の理由のひとつだと考えられている。
ユダヤ人の財産をそのまま頂ければ自分達が富むという単純な発想が成り立ってしまっていたのだ。
そこに誰も何も疑問が沸かなかったのか。

この大量虐殺は決してひとつの要因で起こった出来事ではなく、
ひとつひとつの負の要因が積み重なり、ある人を悪の道に駆り立て、
一方である人を恐怖に陥れたのだ。

戦後何十年経とうが一個人が想像を巡らせて、こうした要因を追及する必要があると思う。
そうすることで二度と起こらない、起こしてはならないという考えを一個人が持ち、
自発的な考えにおいて人の暴走に歯止めをかける必要があるから。

ここを見学する時に僕は何度も立ち止まり、下を向いて目をつむってしまった。
ここで起こった事を想像するということは、とても耐えられるものではなかった。
それでも人の生と死の重みを深く強く感じ取らなければならない。

「過ちは 繰返しませぬから」
広島にあるこの言葉を常に思い出しながら、
想像を巡らす必要をかみ締めていた。


アウシュビッツで起こった事についての詳細な記述は、こちら(ウィキペデア)を参照ください。

またガイドの中谷さんは、アウシュビッツ博物館の日本人唯一の公認ガイドです。
こちらのホームページに連絡先が載っていますので、ガイド依頼される方は連絡の上、予約されるといいと思います。

ゆーじ

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その状況下に生まれた責任 ~ アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れて2

ビルケナウ 鉄道の引込み線が伸びる

アウシュビッツ強制収容所の見学後、約3km離れた場所にある
ビルケナウ強制収容所(アウシュビッツ強制収容所2号)に移動した。
バスを降りて収容所の前に立ってみると、アウシュビッツ強制収容所よりもより閑散とした陰気な雰囲気に足がすくむ。
アウシュビッツ強制収容所は、花や木が植えられ、収容施設も土台のしっかりした建物で、
洋式トイレもあって、外観を見る限り普通のビルのような感じにさえ見える。
これはホロコーストの事実を隠し、対外的に一般的な囚人の収容所に見えるように取り繕っていたためだそう。

ビルケナウ 有刺鉄線ごしに望む

ビルケナウの方はアクセスしにくい郊外にあるため、取り繕う必要がなかったのだろう。
収容施設は湿地に床なしで建てられた粗末な造りのバラックで、トイレもセメントに穴をくりぬいただけのもの。
隙間風がふきさむバラックは冬は凍えるほど寒く、不衛生な環境下でネズミが大量発生してそこら中を徘徊していたそうだ。
木が殆ど生えていない広大な土地に何棟ものバラック跡だけが残る様は不気味だ。
数え切れない程の人が生活していた場所なのに、全体的にお墓のような空気が漂っていて、
長くそこに留まることを身体全体が拒否していた。

ビルケナウ 壊されたガス室

ビルケナウの敷地の南北には、鉄道が引かれている。
鉄道は奥の方で切れていて、その終点の両側にはガス室跡が残っている(終戦間際に証拠隠滅のため爆破された)。
鉄道でビルケナウへ送り込まれてきた人々は、ナチスによって騙されていたため、
大量殺戮工場へ向かっているとは考えていなかった。
ナチスによって実際は存在しない農地、工場、住宅などを購入させられ、
よりよい場所へ移住するだけと信じて、一番貴重な財産を手に、遠い道のりを缶詰状態の列車に揺られて来たという。
使い捨ての労働力があるとされた人々はバラックに収容されたが、殆どの人は到着早々そのままガス室に送られた。
ガス室に並ぶ段階でさえ「シャワーを浴びる」と嘘をつかれていたため、
ガス室に並ぶ人々が映された写真を見てみると人々は落ち着いた表情をしている。

戦争が佳境に入り、ガス室での殺戮が間に合わなくなると、人々は野焼きされるようにもなったそうだ。
ガス室にガスを入れるのも、野焼きするために火をつけるのも、死体を処理するのも、
ナチスは実際には手を下さず、すべて収容されていた人々が行わされていた。
そして、死に携わる行為をさせられていた人々は、証拠隠滅のために定期的に殺された。

数少ない親衛隊員が、収容されていた多数の人々をコントロールできたのは、
計算されつくした管理システムがあったからだ。
親衛隊員に協力した人には特別な部屋、食事、仕事、物品などが与えられ、
逆に少しでも反抗したとみなされた人は何時間にも及ぶ点呼や鞭打ちや過重労働などの懲罰が待っていた。
このような環境下では同胞同士の裏切りは日常茶飯事で、
終戦後まで生き残って出所できた人も、人を信じきれないという心の病を抱えることになったそうだ。

アウシュビッツに来るまで私は、この場所には過酷な収容所での生活跡が残っているものだと思っていた。
でもここに来て公式ガイドの中谷さんに案内していただき、ここで見られるものは生活跡なんかじゃないことがわかった。
ここに送られてきた人で、「生かしておこう」と考えられた人はいない。
例え重労働に耐えるだけの健康な身体を持った人でも、ナチはその人達を長く使う労働力としては考えていなかった。
彼らは長くても2~3ヶ月の間だけの使い捨ての労働力で、その後は衰弱して死ぬべきと考えられていた。
そんな事を繰り返しても余るくらいの人々が毎日送り込まれてきており、収容場所は常に不足していたのだ。
ここは人が生活する場所ではなく、巨大殺人施設だった。

証拠隠滅のために破壊されたガス室跡の前で、「人間がこういう事をし得る」という事実をつきつけられ、途方にくれた。
教訓を学ばなければ、歴史は繰り返す。

殺人工場が誕生し存続したの背景には様々な要因があるけれど、
その大きな原因のひとつが人々が「ユダヤ人」「ジプシー」「同性愛者」「捕虜」などといった
グループでくくられていたことが挙げられると思う。
そこには個人の顔がない。
近所の人達、職場の人達など、よく知っている人達に対しては引き金を引けないけど、
よく知らない人に対して人は冷淡になれる。
自分が特定の人達をグループ名で呼びたくなった時、どれほど自分がその人達のことを知っているのか注意したい。
できれば、人とは個人名で付き合いたい。

収容所所長をはじめ、人間の殺戮側にいた人達は、終戦後、口をそろえて
「状況が自分に殺人を仕向けたのであって、自分も状況の被害者だ」と主張したそうだ。
では、その状況下にその場にいた全員が被害者で、誰も責任を取るべき人はいないことになる。
誰にも罪の意識がない。
これ、自分もやっていないだろうか?
例えば、貧困、環境問題、人口問題、エネルギー問題、公害などの地球規模の課題。
誰もがこの状況下で、それらの問題の存在を認識していながら、責任を取ろうとしない。
もし何百年後かに子孫に問われたら、「状況のせいで仕方がなかった」と言うのだろうか。
人間は巨大殺戮工場で罪の意識なく人を殺し続けることができる。
今、罪の意識なく地球を汚し、資源を枯渇させ続けている。
アウシュビッツに行って、今まで環境や状況のせいにしていたことにもっと目を向けたいと思った。

ありさ

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ポーランドNO1の魅惑の宿

ヨーロッパでの宿は、基本的にホステルワールドというサイトで事前に探して予約している。
このサイトの良い所は、宿泊客による「個性、安全性、場所、スタッフ、楽しさ、清潔さ」の6つの評価が載っていること。
総合評価順に検索結果を並べることもでき、宿泊料金が安くても評価が低い宿は避けることができる。

ポーランドの宿も、例によってホステルワールドでどこにしようか検索していると、
ゆーやんが「すごい宿があるよ!」と言う。
ホステルワールドがお客さんの総合評価を基に毎年出しているランキングで、
「東欧で2位」、「ポーランドで1位」、「小さなベストホステル部門で世界3位」
のホステルがあるとのこと。
その宿の名前はGreg & Tom

こういう人気宿のドミトリーは、ものすごく混んでいることが多いので、今まで敬遠していたのだけど、
別館(Greg & Tom2)のダブルルームがドミトリーとあまり変わらない料金だったので、
どんなところか泊まってみることにした。

別館に宿泊する場合も、本館受付で手続きが必要なので、まず本館へ。
本館は、クラクフ駅やショッピングモールの目の前にあってかなり良い立地。
受付でチェックインをすると、宿のルールの説明後、クラクフの街の見所についてとても丁寧に解説してくれる。
そして、一番驚いたのがこの一言。

「夕食は19時だよ。」

え~~~?
夕食が付いているなんて全く期待していなかったので本当にびっくり。
ハイシーズン以外は夕食もサービスしているらしい。

別館は、本館から歩いて約5分の所にある。
ビルの階段を上がると、誰かのマンションの一室のような扉の前へ。
中に入ると、本当に誰かの家みたい。
共用のキッチン、ダイニング、リビング、シャワールームを囲むように客室が3部屋。
スタッフのお兄さんは部屋の説明が終わると、入り口と部屋の鍵を渡して、にこやかに本館に帰っていった。
まるで、誰かの家の鍵をぽんっと手渡されたような気分。
その日、別館には私達しか泊まらなかったので、共用スペースは私達だけで使わせてもらうことができた。

Greg & Tom2 客室

部屋には清潔なタオルが置かれていて、キッチンにはいつでも食べられるようにコーンフレークが置かれている。
あ~、こんなにのびのびしたのは何ヶ月ぶりだろう。
インターネットは本館にしか設置されていないけど、そのお陰でゆっくり過ごせるのもいい。
(別館宿泊客も本館の設備を利用できるので、ネットは本館で)

期待の夕食の時間になると、本館へ。
19時になると「どうぞ~!」とスタッフの方が声をかけてくれるので、ぞろぞろとキッチンへ向かう。
そこでまたまたびっくり。

Greg & Tom ある日の夕食

サラダやコロッケやハムやチーズなどがバイキング形式で並んでいる。
ホテルでもないのに、こんなにきちんと夕食が出るなんて感動だ。
そして夕食の内容は毎日変えてくれる。
皆で一斉に食べるスタイルではなく、空いているソファーや椅子で自由に食べられるのも嬉しい。
すごいのは夕食だけでなく、朝食も。
朝食も、サラダやチーズやフルーツなどがたっぷりバイキング形式でいただけるのだ。

夜は、リビングの大型プラズマテレビでDVDを鑑賞。
ブラジルで買った音楽DVDを観ながら思いきり歌い踊ったり、ボリビアで買った映画のDVDを観たり。
毎晩、まるで自宅にいるかのようにくつろぎながら、
帰りの飛行機のチケットがなければもっと長居できるのにと、宿にいる時間を惜しむように楽しんだ。

ホステルワールドの2010年のベストホステルのランキングを見てみると、
世界1位~3位まですべて、ポルトガルのリスボンのホステルが入賞している。
これらのホステルは写真を見るだけでも居心地がよさそうで、「宿に泊まる」という目的でリスボンに行きたくなってしまう。

ありさ

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